私は、理学療法士(リハビリの仕事)をしています。数多くの高齢者の相手をしてきて思ったことがあります。
それは、死ぬ間際、「幸せ」だと言える人と、そうでない人の差は何だろうというという事です。
いろいろ考えた上で、自分の中で整理できたので、その事について書いていきます。あくまで、私個人の意見です。
まず、最初に結論を述べてしまうと、「人生が幸せだったと最期に言っている人は、ギバー」です。
お金では、幸せになれない
まず、最初に大切な事を言います。それは、「お金では幸せになれません」
仕事柄、生活保護を受ける人、ギリギリの生活をしている人もいれば、普通の生活レベルの方、超金持ちの方を相手にする事もあります。
普通に考えれば、所得が高い人ほど、「幸せな人生だった」というセリフが出てきそうなものですが、実際は、そうではありません。
生活保護に近いレベルの方でも、「幸せな人生だった。何も悔いはない。」と言って、天寿をまっとうされた方もいます。
逆に、お金に余裕があっても、死の間際まで、まだ死にたくない。後悔している。こうすれば良かった。などと、もがく方もいます。
つまり、老後に「幸せだ」と言うためには、お金の有無は関係ないと言えます。
では、老後に「幸せだ」と言われる方の共通するものは何でしょうか?
後悔する人の発言
「GIVE&TAKE」という言葉を知っていますか?
「貰ったら、返す」という意味です。
後悔される方の発言の多くは、「欲しい」というものが多いです。つまり、「貰いたい」という事です。
人の欲というのは際限がありません。貰えるものは何でも貰えたら嬉しいですよね。
「幸せ」のポイントは、ここにあると思っています。
ちなみに、GIVE&TAKEについては、下記の本が、とても分かりやすく書かれています。
「ギバー」は与える人。「テイカー」は貰う人。「マッチャー」は帳尻を合わせる人。として、説明しています。
ちなみに、大半の方は、マッチャーだと言われています。マッチャーは、「貰った分だけ、返す人」です。借りは返すタイプです。
幸せ、いつ死んでもいいという人は、ギバーである
「人生に悔いはない」「幸せだった」「いつ死んでもいい」という発言をされる方の多くは、「ギバー」です。
お金の有無に関わらず、絶えず、何かを人にあげようとします。
職業柄、何かを貰う行為はNGです。貰えない事を説明するのですが、「ギバー」の方々は、何かしら強引に渡そうとしてきます。
こちらとしては、困るのですが、とにかく、関りのある人に、絶えず何かを与えよう、喜ばせようと考えています。
他人を喜ばせることを、自分の幸せと認識されています。
多くの方を幸せにしてきたという意識が、後悔のない人生を送ってきたというセリフを言わせているのではないかと思います。
自分の事しか考えていない人ほど、幸福から遠ざかる
「欲しい服」「欲しいゲーム」「食べたい物」世の中には、自分の欲求を満たしてくれる物が溢れています。
お金さえあれば、際限なく手に入れることができます。
しかし、買っても買っても、永遠に満足することはないのではないでしょうか?
買ったら、次はもっと良いものを!もっと美味しいものを!こんな風にキリがなくなります。
欲しいものを手に入れた瞬間は幸せですが、その幸せは何日もすれば、薄れてきませんか?
自分の欲求を満たすだけでは、継続的な幸せは手に入らないのです。
「瞬間的な幸せ」に関しては、ドーパミンというホルモンが関係しています。
このことを詳しく解説している本があります。精神科医の樺沢先生が書かれた本です。
ドーパミン的な幸福を追い求めている方は、死ぬ間際に後悔する可能性が高いと思います。
ドーパミン的幸福以外の幸福を見つける必要があります。
人生の最後に幸せだったと言いたいなら、ギバーになれ
あなたはギバーですか?テイカーですか?マッチャーですか?
テイカータイプだと思うのであれば、今すぐ行動を変えましょう。
おそらく、人生の最後に、「あれが欲しい、これが欲しい」と後悔の言葉しか出てきません。
人から何か貰った直後は、ドーパミンが放出されます。その幸せは一瞬です。ドーパミン的幸福は、持続しません。
それよりも、人に何かを与えるという行為は、ドーパミン的幸福に比べ、幸福感が持続します。
「他人のために、何かをしてあげられた」という想いが、いつまでも心の中に残るからです。
「私の人生は、幸せだった」と言いたいのであれば、「他人を幸せにできる」ギバーになりましょう。
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